今日の旅行記に入る前に……
ボスニア・ヘルツェゴビナに入国したので、基本情報を見ていきましょう!
ボスニア・ヘルツェゴビナの基礎データ
- 国名:ボスニア・ヘルツェゴビナ
- 公用語:ボスニア語・セルビア語・クロアチア語(※)
- 人口:約330万人
- 独立年:1992年
- 通貨:兌換マルク
- 政体:共和制
- 民族構成:ボシュニャク人48%、クロアチア人14%、セルビア人37%、その他
- 宗教:イスラム教51%、セルビア正教会31%、ローマ・カトリック15%、その他
- EU未加盟
(情報源:Wikipedia)
※クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、ほぼ同じ言語が話されている。元は”セルビア・クロアチア語”と呼ばれる言語だったが、旧ユーゴスラビアの解体とともに別言語と主張されるようになった。なお、アルファベットとキリル文字の2つの表記方法がある。
旧ユーゴスラビア地域の民族は、基本的には宗教によって分かれています。ざっくり、
- セルビア人=正教会
- クロアチア人=カトリック
- ボシュニャク人=イスラム教
と把握しておけば、とりあえずはOK。
旧ユーゴスラビアには、主にこの3つの民族(宗教)が暮らしているわけですが、セルビア人が多い地域、クロアチア人が多い地域……のように、特定の民族が多く住んでいる地域が存在します。
例えば、セルビア。セルビアの人口は、大部分がセルビア人。
そして、クロアチア。クロアチアの人口の約9割は、クロアチア人です。
このように、民族と現在の国が紐づいていれば分かりやすいのですが……このルールに当てはまらないのが、ボスニア・ヘルツェゴビナという国。
民族構成と宗教の項目を見ると、3つの民族(宗教)がボスニア・ヘルツェゴビナ内に混在していることが分かると思います。
民族(宗教)間で争い、ユーゴスラビア紛争を経て、現在のボスニア・ヘルツェゴビナは、下の地図のような形に落ち着いています。
ボシュニャク人とクロアチア人が多く住む、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦。
セルビア人が多く住むスプルスカ共和国。
ボスニア・ヘルツェゴビナの中は2つの国に分かれており、この2国が連邦国家という体制を取っています。
ユーゴスラビア紛争から30年が経った今も、民族(宗教)間で溝があり、同じ国という形をとりながらも別々に暮らしていること。この事実を頭に入れておいてください。
※ 詳しくは、サラエボの旅行記で語ります。
*****2023.4.5(水)*****
今日は、モスタルから12km離れた場所にあるブラガイという街を訪れてみます。
でもその前に、昨日の続きでモスタルの街を歩いてみることに。
カラジョズ・ベゴヴァ・ジャミーヤ。
オスマン帝国の全盛期に活躍した建築家、ミマール・スィナンの設計。
こっちは、コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ。
1618年に建てられたモスクで、塔の上にも登れるらしい。。
まだ朝だから、店は閉まってた。
でも人がいないから、写真を撮りやすい。昼間はツアー客が多いから、メインの通りはけっこう混んでるのよね。
ネレトヴァ川とモスクのミナレットの景色が素敵。
スターリ・モストの両橋には、要塞のような見た目の監視塔がある。かっこいい。
どの国や機関が、橋の修復のためにいくら援助してくれたのかが書いてある。
ちなみに……
モスタルには、日本が寄付した黄色いバスも走っている。2002年って書いてあるから、20年前のバスが現役で走ってるってことだね。
でも、私が訪れた時には、けっこう新しいバスも走り始めていて。少しずつ買い替えしているみたい。
こういうのを見ていると、なぜ国際的な支援にインフラ投資が多いか、理由がよく分かるよね。
橋や建物などの建築は、何十年、何百年、もしかしたら何千年、と長く後世に残るけど。日本が支援したバスが走り続けるのは、頑張っても20〜30年が限界。
バスがモスタルの街から消えたら、日本がボスニアに支援した事実も忘れられてしまうかもしれないわけで。
「これだけ恩を売りましたよ!」という証が長く残り続けるから、どの国もインフラ支援を選ぶんだろうね。
今日は、川の西岸をもう少し歩いてみるよ。
西岸にも、廃墟や銃弾の痕が刻まれた家が多い。
西岸には、立派なカトリック教会がある(Franciscan Church and Monastery of St. Peter and St. Paul)。
この教会の周辺は、比較的新しめの建物が立ち並んでいた。
多分、川の西岸はクロアチア人が多く暮らしている地域。東側には、ボシュニャク人が多く住んでいる。今も、民族によって居住地域が分かれているみたい。
紛争で荒廃したまま、放置されたのであろうビル。
こういった建物は、過去を忘れないために意図的に残しているのだろうか。
※ サラエボで知ったが、廃墟や銃弾の痕は意図的に残しているのではなく、単純に修復するお金がないから放置しているらしい。
橋を渡って、今度は東岸を散策。
観光客が多いスターリ・モストに通じる道を少し離れると、一気に寂れた雰囲気が漂うんだよな。
時計塔も、ボロボロのまま。
セルビアの国旗。何の建物だろう?
モスクと教会が立ち並ぶ景観。表面上は、異なる宗教が同じ街に共存していて平和的に見える。
内情は違くて、今も根深い対立が残っていると思うと、なんだか複雑。
今まで訪れた国では、各国の宗教構成がわりと均一だった。だから、複数の宗教がひとつの街に共存している景色を見たことがなかったのよね。
スペインのアンダルシア地方では、キリスト教とイスラム教が融合した建築も見てきたけど、それは建築だけの話であって。キリスト教徒とイスラム教徒は共存しなかった。レコンキスタによって、キリスト教徒がイスラム教徒をイベリア半島から追い出したわけだし。
その点、複数の民族(宗教)がボスニア・ヘルツェゴビナというひとつの国に共に暮らしていることは、今まで訪れてきた国とは明らかに違う点だよね。まぁ、それが上手くいっていないから紛争が起きたし、現在も内情は2つの国に分かれてしまっているのだけれど。
モスタルを歩いていると気分が重くなっちゃうので、気分転換にブラガイに足を延ばしてみる。
モスタル駅前のバス停から、10番のブラガイ行きバスに乗ります。
時刻表は、Mostar Busというウェブサイトからダウンロードできます。英語表示にできないけど、翻訳使えば大丈夫。
上の段が、モスタル→ブラガイ。下の段が、ブラガイ→モスタル。
2023年4月現在、30〜1時間に1本くらいの頻度で走っています。
ブラガイまでは、片道2.1KM(=約160円)。
20分ほどで、ブラガイに到着。さっそく歩いてみます。
モスタルから南へ12km、ブナ川沿いに築かれたブラガイは、アドリア海とその後背地を結ぶ戦略的重要拠点であり、ローマ以前から砦が築かれていた歴史ある街。オスマン朝の時代には、イスラム神秘主義教団の修道院、スターラ・デルヴィシュカ・テキヤが建てられ、イスラム教の聖地としても栄えた。
(参考文献:地球の歩き方)
ブラガイ、めっちゃ田舎。自然が豊か。
丘の上には、城塞。
この景色、雰囲気◎。石の瓦屋根?がとても素朴で良き。
何か魚を養殖しているのかな?
イスラム教の修道院目当てで来たんだけど、普通に景観が良過ぎて驚いた。
ここがイスラム神秘主義教団の修道院、スターラ・デルヴィシュカ・テキヤ。
10KM(=760円)の入場料を払って、中に入ってみる。
この修道院は15世紀に建てられたもので、敷地内には祈りの場やハマム、食堂や墓などがある。
この建物には、頭にスカーフを巻いて入ります。
私は持っていた自分のスカーフを巻きましたが、貸し出し用のスカーフもたくさんありました。
中は、思ったよりもこぢんまりとしている。
日陰だし、靴脱いでいたから、すこい寒かった。
あと、説明書きが何もなかったから、結局よく分からなかったっていうね。
修道院のすぐそばに、洞窟が。
キリスト教の聖地が水辺にある、というのはあまり聞かないけど。イスラム教では体を清めたりするから、やっぱり聖地も水辺に建てられることが多いのだろうか。
ブラガイ、本当に自然が素敵な場所だったな。
まるで、パワースポットって感じ。
帰りは、行きで降りたバス停と同じ場所から、モスタル行きバスに乗って帰ったよ。
バルカン半島に入ってから、よく見かけるSmokiという名前のお菓子を買ってみた。
ピーナッツ味なんだけど、しょっぱくて味濃かったな。
明日は、ポチテリとメジュゴリェに行ってみます。
※ 為替レートは、当時のもの。1円単位は丸めています。
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