*****2023.1.14(土)*****
午前中はコルドバの郊外にある世界遺産メディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)を、午後はコルドバのメスキータを観光します。
メディナ・アサーラはコルドバの中心地から6kmほど離れているので、バスで行くよ!
メディナ・アサーラ行きのバス停まで、歩いて向かいます。
朝9時過ぎだというのに、同じドミの宿泊者たちは全員寝てました。
みんな、朝から観光しないのかね?
そういえば、コルドバに来てから急にアジア人とすれ違わなくなりました。
観光客は、みんな欧米人ばかり。ドミで部屋が同じだった人たちも、アメリカやスペインの出身でした。
グラナダはアジア人ばかりだったのに。バスで数時間の距離を移動しただけで、こんなにも観光客の客層が変わるなんて驚き。
テンディーリャス広場を通り抜ける。
教会の壁に、素敵なタイルがあった。
ビクトリア庭園の周辺も、雰囲気良き。
コルドバの街は、「コルドバの歴史地区」として世界遺産にも登録されている。
メディナ・アサーラ行きのバスが出ているバス停は、ビクトリア庭園近くのCruz Rojaというバスロータリーのところにあります。
Hospital Cruz Roja(病院)の目の前です。
バスチケットは予約が必要。観光案内所でも買えるみたいですが、私はウェブで行き10:00発・帰り13:30発の便を予約しました。
基本料金は€10ですが、オンラインの予約で€0.5だけ安くなり、€9.5(=約1,320円)。
料金には、コルドバ−メディナ・アサーラ間の往復のバス代と、メディナ・アサーラ内の循環バス代が含まれています。
月曜日は休みなので、要注意。
バスは10分前に到着。この黄色いバスに乗ります。
ただ、周りの客はスペイン人ばっか。バスの運転手さんもスペイン語で話してる。
なんて言ってるか、さっぱり分からん。と、首を傾げていると……
隣の女性「私もさっぱり。とりあえず乗れば大丈夫よね!」
一人旅であろう短髪の女性が、英語で話しかけてきてくれました。
彼女は、オーストラリアからやってきたターラ。友達に会いに行くついでに、一人でスペインを観光しているんだって。
とりあえず、彼女と一緒にバスに乗り込みました。
15分ほどで、バスはメディナ・アサーラの入り口に到着。
まずはミュージアムに向かい、入場券を買います。(€1.5=約210円)
この入場券は、メディナ・アサーラの遺跡に入る時に必要になります。
最初に15分ほど、メディナ・アサーラについての映像を見ました。
その後、ターラと一緒に展示を見て歩いていたのですが……
彼女、めっちゃ時間かけて展示見てる。
帰りのバスの時間が決まっているし、先に遺跡を見て回りたいなぁ。と提案してみるも、ターラは先に展示を見たいらしい。
というわけで、ここで別行動することに。
ミュージアム前の駐車場に、メディナ・アサーラの遺跡へ向かうための巡回バス乗り場があるので、そこでバスを待ちます。
こんな感じの緑のバスです。
料金はメディナ・アサーラの往復バス代に含まれているので、バスの予約チケットだけ見せればOK。
いよいよ、メディナ・アサーラの遺跡に入っていきます。
後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世が、愛する妃のために936年から25年かけて建設した宮殿都市。
その後の内戦によって荒廃し、20世紀初頭に再び発見されるまで、約1000年間も忘れ去られていた。
アーチが残っている。
建造された当時のアーチは、鮮やかな赤のストライプ模様だったみたい。
このアーチのストライプ模様は、今後あちこちで出てきます。
この場所では、王が建物の上から広場を見下ろし、兵士たちを確認していた。
モスク跡。うーん、土台しか残ってない。
これだけ荒廃が進んでいると、当時の美しい宮殿の様子を想像するのは難しいな。
背後は山、目の前には川、首都からも近い。という、立地的には完璧な場所だったらしい。
庭園の跡。荒廃してるけど、イスラム式の庭園だってことは形から分かるよね。
それにしても、緑が豊か。
モロッコにいた時、北のほうは土地が案外豊かじゃん、って思ってたけどさ。
スペインに来てみると、やっぱスペインのほうが圧倒的に緑が多いって分かるよね。あと、たまたまかもしれないけど、気候が温暖。
イスラム教徒がイベリア半島に侵入した理由は、この豊かで温暖な土地を求めて、なのかもしれない。
わずかだけど、赤い着色が残っている場所もあった。
なんだか、迷路みたい。たくさん部屋があったんだろうね。
意外と見どころは少なく、あっさり見終わりました。
本当は、これを見たかったんだけどね。
カリフの謁見の間、メディナ・アサーラで最も有名な場所。
残念ながら、閉まってました。まあ、損傷も激しそうだし、資産を保全するためにはやむを得ないのかもしれないけどさ。
少し落胆したものの……次に訪れるメスキータで、メディナ・アサーラも行っておいてよかったなと改心することになります。
行きと同じ、緑の循環バスに乗って、ミュージアムまで戻ってきた。
まだ帰りのバスまで時間があるので、展示を見てまわる。
この頃のイスラムの勢力範囲、すごいな。
ローマ帝国に匹敵するくらいの影響力はあっただろうね。
個人的には展示よりも、出土品を保管している倉庫?的な部屋のほうが興味深かった。
廊下から、ガラス越しに覗くことができました。
というわけで、13:30のバスに乗ってコルドバの中心地まで帰ります。
今回はバスを使って行きましたが……
直線距離で約6kmの距離なので、頑張れば歩けるかもしれん、と思いました。
ただ、遺跡の中でも歩くことになるので、実際に徒歩で移動するとかなり大変だろうけど。
サイクリングしている人たちも見かけたよ。自転車羨ましい。
行きと同じ、ビクトリア庭園へ戻ってきた。
ターラに別れを告げて、私はメスキータへ向かいます。
一応、メディナ・アサーラへの行き方は下記の記事にまとめておきました。
ユダヤ人街。ユダヤ人は経済を支える存在として、歴代のカリフから優遇されていたらしい。
レコンキスタ終了後はユダヤ人追放令が布告されて、ユダヤ人は街から姿を消した。
シナゴガ(シナゴーグ)が無料だったので、入ってみた。
狭くて、観光客で溢れかえっている。
ぱっと見イスラム建築っぽいんだけど、装飾にヘブライ語が用いられている。
メスキータへ入ります。(€13=約1,800円)
やっぱり、どこも地球の歩き方に書いてある値段よりも値上がりしてる。地味に高くて苦しい。
後ウマイヤ朝を開いたアブド・アッラフマーン1世により、785年に建設開始。3回にわたって増築され、大モスクが完成した。
メディナ・アサーラでも、同じようなアーチを見た。
後ウマイヤ朝建築の特徴なんだね。
レコンキスタ後は、カルロス5世によってカテドラルに改造されてしまっため、壁や天井はキリスト教の装飾が多い。
イスラム教の要素とキリスト教の要素が融合している。とても不思議な感じ。
レコンキスタ後にモスクを破壊して造り直さず、そのまま活用してくれたことに感謝だわ。
イスラム教徒をイベリア半島から排除したとはいえ、建築などの素晴らしい部分は取り入れる。こういうのを見ると、キリスト教って寛容じゃんって思うよね。
ミフラーブ。装飾がえげつない。美しい。
こういうのも、キリスト教側はちゃんと残しておいてくれたんだよな。
メスキータは、キリスト教徒によってかなり手を加えられている。
美しいけれど、これはコルドバがイスラム教徒のもとで栄えていた後ウマイヤ朝当時の姿ではない。
かなり荒廃は進んでいたけれど、メディナ・アサーラで手が加わっていない状態の後ウマイヤ朝建築も見ておいてよかったな。
カテドラルの部分は、コテコテのキリスト教聖堂でした。
メスキータとメディナ・アサーラ、とても良かった。
正直、グラナダのアルハンブラ宮殿よりも強く印象に残ったかも。
後ウマイヤ朝が栄えていた頃のコルドバにタイムスリップして、歩いてみたい。
コルドバ、かなり気に入った。素敵な街だ。
明日は、セビリアに移動します!
※ 為替レートは、当時のもの。1円単位は丸めています。
スペインの旅行情報は旅行メモをご覧ください!
▼ 続きはこちら
-
【Day34】コルドバからセビリアへバスで移動!久々にゆったり過ごす日曜日
続きを見る
\旅のお供に「地球の歩き方」!/
\宿はBooking.comで予約しています!/