*****2023.1.1(日)*****
新年が明けた。
年明けのタイミングはぐっすり寝ていたので、特別なことは何もしていません。
ぐっすり眠れたってことは、外も特に新年らしいお祭り騒ぎにはなっていなかったんじゃないかな?
とにもかくにも、平穏なお正月。
今日は、ラバトの川を挟んで対岸にあるサレという街に足を伸ばしてみます。
ラバトとサレは、トラムでつながっているので簡単にアクセスできるよ。
というわけで、トラムに乗車。(6DH=約75円)
カサブランカのトラムとは違い、ラバトのトラムは改札がなく、車内の打刻機で自分で打刻します。
車内でチケットを確認する人がいるので、打刻は忘れないように。
駅でトラムを待っている時から、見た目が可愛らしいおじちゃんが、隣でずっと私の面倒を見てくれた。トラムに乗ってからも、隣同士一緒に座った。
おじちゃんアラビア語しか話せなかったから、会話はなく身振り手振りだったけど。はにかむ笑顔が印象的で、ずっと胸のあたりでチケットを両手で握り締めている姿がとても愛らしかった。
ラバト初めてのトラムをスムーズに乗れたのは、おじちゃんのおかげ。ありがと。
"Bab Lamrissa"で下車。対岸のサレの街に到着。
トラムはL1とL2、両方とも"Bab Lamrissa"に止まります。
ブーレグレグ川を境に、ラバトの対岸にある街サレ。16〜17世紀には海賊の拠点となり、ジハード(聖戦)を称して遠く地中海や北海まで荒らし回ったため、ヨーロッパ中から海賊の街として恐れられた。現在はラバトのベットタウンのような雰囲気で、メディナ内には住宅がひしめき合うように建っている。
(参考文献:地球の歩き方)
サレのメディナの入り口にある、巨大なムリサ門。
マリーン朝時代の1260年に造られた。
サレのメディナには観光客向けの店はあまりなく、地元の人たちのスークだった。
さらに北の方へ進むと、商店もなくなり閑静な住宅街になった。
Googleマップを見ながら進んだけど、地図と道が全然違くて、かなり彷徨い歩いたよ。
なんとか、アブー・エル・ハッサン・マドラサに到着。
1341年に建造された神学校。サレでは唯一の見所。
入場料は、60DH(=約750円)。受付の人は英語が喋れなくて、フランス語で会話した。こういう時に、数字とか最低限のフランス語を覚えていてよかったなと思う。
今まで見てきたマドラサに比べると、こぢんまりとしている。
観光客は誰もおらず、貸し切り状態。
ラバト自体、モロッコの中では旅行者にスキップされがちな都市らしいので、わざわざサレに足を伸ばす人は少ないんだろうな。
2階にも上がることができた。
写真には映っていないけど、鳥の群れがすごくて。建物の中に巣を作ってるんだろうね。
せっかくなので、海まで歩いてみる。
砦的なものがこの先にあるはずなので、彷徨い歩いていると……
おっさん「この先だよ。入りな」
いや、工事現場の中ですけど。
いいのかな、と思いつつ……普通に工事している横を通り、中を見学させてもらいました。
壊れた大砲がそのまま置いてあったり、観光地として整備されている雰囲気ではないが……
これはこれで、趣があってとても良いではないか。
波がすごい。
イスラムの海賊たちは、ここから出港してヨーロッパへ繰り出したんだなぁ。
きちんと整備されていないのがもったいないくらい、立派な城塞だった。
多分、モロッコの海沿いには、こんな感じの城塞がいくつも点在しているんだろうね。
昨日訪れた、ラバト側のウダイヤのカスバがよく見えた。
その後は、城壁沿いをまったり歩き、トラム駅まで戻りました。
知らん兄ちゃんが、オレンジ?ミカン?をくれた。よく分からんけど、「ビタミン!」って連呼してた。
モロッコ人、マジで優しいわ。
夕飯やスープを分けてくれたりとか、旅行中にこんなにタダで施された経験、今までの旅ではなかった気がする。貧乏旅には助かります。
サレの街、特に見所があるって訳ではなかったけど……
のどかで人が優しくて、気持ちよく散歩できる場所でした。
ラバトに3泊したけど、居心地良かったよ。
モロッコで住むとしたら、ラバト一択かな。実際に住むイメージが最も沸いたのが、ラバトでした。
明日は、シャウエンに向かいます。
※ 為替レートは、当時のもの。1円単位は丸めています。
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