*****2023.4.8(土)*****
※Day117は、パート1とパート2に分けています。この記事は、パート1です。
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、多様な民族、宗教、文化が混じり合った近代都市。1984年の冬季オリンピック開催地でもある。1991年、旧ユーゴスラビアは、独立を唱える各国と、それを阻止するセルビア主導の連邦軍との泥沼の戦争へと突き進み、サラエボでの犠牲者は1万人を越えた。デイトン合意から30年近くが経とうとしているが、今もいくつかの建物には銃痕が残っている。
(参考文献:地球の歩き方)
今日は1日、サラエボ観光。
まずは、新市街から歩いてみる。
まずは、永遠の炎。
炎はサラエボ・オリンピックの時の聖火らしいけど、記念碑は第二次世界大戦の戦死者を追悼するもの。
新市街は、宮殿のような淡い色のおしゃれな建物が多い。
生神女誕生大聖堂。ここは、セルビア正教会。
中に入ろうとしたら、ダメって怒られちゃった。
イエスの聖心大聖堂。こっちは、カトリック教会。
観光客はほとんどいなくて、祈っている人ばかりだったから、ちらっと覗き見ただけで退散。
こちらは、フェルハディヤ・ジャミーヤ。見てわかる通り、イスラム教のモスク。
写真撮り忘れちゃったけど、ユダヤ人のシナゴーグもある。
300mと離れていない圏内に、正教会、カトリック、イスラム教、ユダヤ教の礼拝堂がある。とてもカオス。
ここが、昨日も歩いた新市街と旧市街の境目。
ミーティング・ポイントを越えて、旧市街へ入っていく。
オスマントルコの雰囲気漂う旧市街が、サラエボ観光の中心地。
土産屋やレストラン、カフェも多い。
ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク。
1531年に建てられたモスクで、ボスニアのイスラム建築の代表。
バシュチャルシア広場。
水飲み場(セビリ)と背後にモスクは、サラエボを代表する景色。
鳩多すぎて草。
坂道を登って、丘の上にあるビューポイントまで行ってみる。
このあたりの路地の雰囲気、味がある。良き。
墓の横の坂道を登っていく。
着いた。黄色の塔!
この高台から、サラエボの街を一望できた。
私が滞在していた時期は、夕方(というか夜)になると、「ボンッ!」という爆発音が鳴り響いた。
あの音は、ラマダン期間中に日没を知らせる合図なんだって。この合図の後は、食事を取ることができる。
音は黄色の塔の大砲が鳴らしている、という話を宿のオーナーから教えてもらった。だから多分、これがその大砲なんだと思う。
オレンジ色の屋根の家々とモスク、そして四角いビル群。
街並みに統一感がない。これぞバルカン、って景色。
丘を降りて、再び旧市街に戻ってきた。
市庁舎。オーストリア・ハンガリー帝国時代に建てられたが、ユーゴスラビア内戦で破壊された。
今は、元通りに復興している。
地図で見るとよく分かるんだけど、この建物はきれいな三角の形をしている。
昨日も訪れた、ラテン橋。
サラエボ博物館に入ってみる。(4KM=300円)
サラエボ博物館では、オーストリア・ハンガリー帝国下の人々の暮らしや、サラエボ事件に関する展示が公開されている。
せっかくなので、ここでサラエボの歴史をざくっと振り返ってみたい。
今の旧市街に残る街並みを築いたのは、オスマン帝国。
15世紀から19世紀にかけて、オスマントルコは約400年もの長きに渡り、サラエボを支配していた。
というのも、ボスニアのあたりは西ヨーロッパのキリスト教圏と接する最前線。オスマン帝国にとって、サラエボは西の重要な防衛拠点だったわけで。
オスマン帝国は、サラエボにラテン橋のような橋を築き、トルコ風の街を整備していった。
この間に、この地に住んでいた人々の多くがオスマン帝国が持ち込んだイスラム教を受容し、改宗した。
しかし19世紀後半、オスマン帝国の勢力が衰退。
バルカン半島は、オーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となった。
露土戦争で勝利したロシアの南下政策に危機感を覚えた欧州各国によって開かれた1878年のベルリン会議で、ボスニアはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下に組み込まれる。
そして1908年、オーストリア・ハンガリー帝国はボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。
※露土戦争…18〜19世紀にかけて、ロシア帝国とオスマン帝国の間で起こった一連の戦争。 バルカン半島に住むオスマン帝国領下の諸民族がオスマン帝国の支配に対して反乱し、それを支援するかたちでロシアが介入。ロシア帝国が勝利した。
1878年のベルリン会議から1914年のサラエボ事件まで、この間わずか40年ほど。
この短期間に、オーストリア・ハンガリー帝国はサラエボに西欧風の街並みを整備した。新市街やトラムなど、現在のサラエボの街の基盤をつくったのは、この時代のオーストリアだった。
この当時、サラエボには一定数のセルビア人が住んでいたようで。
セルビア王国は親露だったらしく、セルビア人たちはボスニア併合など次第に支配を強めていくオーストリア・ハンガリー帝国に不信感を募らせていった。
そして、1914年6月28日に事件が起きる。
オーストリア・ハンガリーのフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が、サラエボを訪問。セルビア人青年、ガブリロ・プリンツィプが放った銃弾によって、夫妻は命を落とした。
彼が放った銃弾によって、世界は一気に第一次世界大戦へと突き進んでゆく。
サラエボ博物館では、事件の様子を再現したムービーが流れていた。
式典を終えた夫妻が馬車に乗って市庁舎を出発し、川沿いを移動。ちょうど橋のあたりに差し掛かったところで、銃声が鳴り響く。
夫妻が移動していた経路は、ついさっき私が歩いていた道で。
世界の秩序を大きく変えた歴史的大事件の舞台を、自分も歩いた。なんだか、とても感慨深かったよ。
その後のサラエボが、どうなったかというと……
ユーゴスラビア王国に組み込まれたが、第二次世界大戦でナチス・ドイツが侵攻。サラエボも戦場となった。
チトー率いるパルチザンによってナチス・ドイツから解放されてからは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の中の主要都市として発展。
1984年には、サラエボで冬季オリンピックが開催されるほどの繁栄を誇った。
でも、平和は長続きしなかった。
オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、セルビア……様々な国の文化や宗教の影響を受ける中で、ボスニア・ヘルツェゴビナには、いつしか複数の民族や宗教の人々が入り混じって暮らすようになっていた。
チトーが指導者だった頃は、彼の強いカリスマ性と統率力によってユーゴスラビアは上手くまとまっていたんだけどね。
チトーの死後は、彼のように複数の民族や宗教の人々を上手くまとめ上げるような実力を持った指導者が現れなかった。
結果、ユーゴスラビアでは「セルビア人」「クロアチア人」「ボシュニャク人」のように、各民族・宗教がそれぞれ自分のアイデンティティを主張し始め、独立の機運が高まっていく。
最初にユーゴスラビアからの独立を宣言したのは、スロベニアだった。続いて、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、マケドニアも独立を試みる。
でも、独立を宣言した地域には、ユーゴスラビアへの残留を望むセルビア人も多く住んでいた。
独立を望む各国(各民族)と独立を認めないセルビア主導のユーゴスラビア連邦軍。両者の対立が激化し、泥沼の武力紛争に発展した。
※ユーゴスラビア紛争については、パート2の記事で詳しく語ります。
ユーゴスラビア紛争について語られる時に、民族紛争や民族浄化という単語が使われる。
私は今まで、ユーゴスラビアにおける”民族”について大きな誤解をしていて。「民族=人種」だと思っていたのよね。異なる人種間での争いがあったのかな、と想像していたの。
(たぶんコレ、私だけじゃなくて、世間の多くの人々が誤解していることだと思うんだけど……)
でも、実際にサラエボを訪れて、モスクと正教会とカトリック教会が混在する光景を目の当たりにして、ようやく理解した。
ユーゴスラビア紛争の火種は、宗教だったんだね。
ユーゴスラビアの人々は主に南スラヴ系で、人種的にはほぼ同じらしいじゃん。そして、特にクロアチア、セルビア、ボスニア、モンテネグロの人々は、ほぼ同じ言語を話す。
でも、たったひとつ。宗教が違ったんだよね。
ユーゴスラビア紛争も、元を辿れば宗教対立に行き着く。その事実を知って、ガックリしたというか。
なんかさ。この世の争いの9割は、宗教や信仰の違いが原因なんじゃない? って思う。
宗教や信仰の違いって、根深くて厄介。
祖父母の家に帰った時だけ”まんまんさん”する仏教徒(笑)の私には、なぜ争い、人殺しまでして、自分の宗教や信仰を押し通すのか。とても理解しきれない。
……宗教なんて、なくなればいいのに。
そう、考えもしたけど。
素晴らしい建築や芸術、文化があるのは、宗教のおかげでもあるんだよな。
私が各地で教会やモスクなどの文化遺産を訪れ、旅行を楽しめているのは、宗教というものが存在するから。私も、宗教に大いに恩恵を受けている。
そして皮肉にも、サラエボのような異宗教が交わるところに、面白い文化や景色が生まれるんだよなぁ。
信仰って、この世で人間だけができる行いだからね。宗教対立や争いも含めて、人間らしいといえば人間らしいのかもしれない。
お腹すいたので、パン屋でキッシュみたいなものを買った。これもブレクなのかな?
パイ生地に、チーズと野菜が挟んである。ボリュームがあって、2.5KM(=約190円)と安い。
ボスニア、飯美味いな。
午後は、サラエボのフリーウォーキングツアーに参加します。
※ 為替レートは、当時のもの。1円単位は丸めています。
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