*****2022.12.23(金)*****
朝、起床するなりオクサナが開口一番。
オクサナ「寒すぎて眠れんかったよ」
確かに、めっちゃ寒かった。
でも、疲れ果てていた私は、普通に爆睡した。
ウクライナって北国のイメージあるけど、ウクライナ人が寒さに強いとは限らないものね。
とはいえ、ウクライナ人が寒くて寝られない環境で爆睡できる私って、もしかして最強では……?
補足しておくと、宿はツアー会社が手配したもので、自分で選ぶことはできません。
宿はベッドとバスルームがあるだけの、必要最低限の小さな部屋です。アメニティもありません。
あまりに寒すぎて、受付に言ってヒーターを設置してもらったけど、それでもウクライナ人が寝付けないほどの寒さです。
追加料金を払えば、宿はアップグレードできます。UKから来たツアー客は、四つ星ホテルにアップグレードしていました。
オクサナと、クロアチア人の青年と一緒に朝食。
ネットニュースの話から、話題はウクライナの戦争へ。
オクサナ自身はスロヴァキアに住んでいるが、家族は今もキーウに住んでいるという。本当は、キーウに新しい家を買ったり将来のプランを立てていたのだけれど、戦争のせいですべてが台無しになったのだそう。
今はSNSが普及しているから、故郷のニュースは嫌でも目に入ってくる。彼女自身、精神的なストレスに悩まされて、かなり苦労したみたい。
すると、クロアチア人の青年が話しだす。
クロアチア人の青年「俺の国も最近まで戦争していたし、気持ちは理解できるよ。今も銃弾の痕とか街に残ってるし」
そうか、クロアチアでも1991年から1995年まで、ユーゴスラビアからの独立に伴う紛争があったんだっけ。
クロアチアは観光地として有名だからつい忘れがちだけど、紛争があったのはつい30年前の話だもんね。
改めて、東欧諸国は現代まで苦しい歴史が続いていたことを思い知らされる。
そして、平和な日本でのうのうと暮らしていた自分は、一切会話に加われませんでした。
どうコメントしていいか分からなかったよね。部外者が変なことを口走って嫌な思いをさせても嫌だし。
こういう時、どんな風に立ち回るのがベストなんだろうか。まぁ、日頃からニュースを読んで、せめて話についていけるように情報のアンテナを張っておくしかないんだろうな。
ということで、バンは出発。
車の故障で30分くらい遅れて出発したけど、宿の人がミントティーをご馳走してくれたから許す。
まずはティネリールという街で降り、トドラ川沿いのオアシスを散策します。
ベルベル人のガイドさんが案内してくれました。
このあたりの集落も、川があるおかげで農業を営んで生活しています。
写真のように灌漑設備をつくって、水を引いていました。
ベルベルフェラーリだってさ。(ロバです)
もともとユダヤ人が住んでいたカスバ。今はユダヤ人は去ってしまって残っていないらしい。
ちなみに、カスバというのはアラビア語で”城塞”のこと。
こうして日干しレンガを作っている。
ガイドさんにもらった、ラクダ。
ベルベル人のガイドさん、日本語ペラペラだった。茨城に住んでいたことがあるんだって。
ベルベル人の絨毯のお店で、ミントティーをご馳走になった。
なんか良く分からんけど、ベルベル人のガイドさんがクロアチア人の青年のことを”アリババ”って呼ぶので、この時から彼のあだ名はアリババになりました。
オクサナがツボって、一生笑ってた。本当、このツアーグループは愉快でおもろい。
ティネリールをあとにし、少し先のトドラ渓谷へ。
ここは、ロッククライミングでも有名らしい。
モロッコ、やっぱり地形がすごい。
このトドラ渓谷を流れる川が、先ほどのオアシス周辺まで続いているわけです。
昼食は、チキンタジン(80DH=約1,000円)。
砂漠を目指し、バンは荒野を走る。
ドライバーからもらったこれ、美味しかった。よくわからんけど、プルーンかな?
2日間運転してくれたドライバーさんは、とても優しい人だった。
荒野を歩いていた人にペットボトルの水を差し入れしたり、ヒッチハイクしていた女性をバンに乗せてあげたり。
イスラム教では貧しい人や弱者への施しを良しとしているからか、モロッコ人は人を助ける精神がとても強いように思う。
私をはじめ外国人がみんなチップを拒んでいたのに、モロッコ人のツアー参加者だけは、ちゃんとそのへんの子供たちにもチップをあげていたからね。
モロッコ人に比べて私たちのほうが数倍も裕福なはずなのに、恥ずかしいっすわ。
午後5時ごろ、サハラ砂漠への入り口となるメルズーガへ到着。
着くなり、いきなりジープに乗せられました。
荷台のところに乗ったんだけど、揺れがすごい。
振り落とされて落ちそうになって、リアルに身の危険を感じました。運転荒すぎ。
丘の上に登り、サハラ砂漠とご対面。
マラケシュからここまで2日。長い道のりだった分、感慨深い。
見渡すかぎり、一面の砂漠。
サハラ砂漠は、アフリカ大陸の3分の1近くを占め、アメリカと同じくらいの面積があるらしい。
私が訪れたのは、そのほんの入り口部分にすぎないけど、それでもやっぱり実際に訪れると感動する。
丘の上にみんなで並んで座って、沈んでいく夕陽を眺めました。
サンセットが終わると、丘の下でラクダが待っている。
こんな風に一列に並んでるラクダ、映画やアニメでしか見たことないよ。
ラクダに乗って、宿泊するテントまで移動。
ラクダの乗り心地は、正直良くはないです。ラクダの背中は思ったより硬く、めちゃめちゃ尻が痛かった。
これに長時間乗って移動するキャラバンの人たちは、すごいわ。それとも実際には、ラクダには荷物を運んでもらうだけで人は乗らないのかな?
暗いけど、この日宿泊したテントです。
中にはベッドとトイレ、そして一応シャワーがあります。ただ、寒すぎてとてもシャワーを浴びれるような環境じゃなかったけどね。
テントはオクサナと私、そして2人組の中国人女性と4人でシェアしました。
夕飯まで時間があったから、オクサナとアリババと一緒にテントの周りを歩いた。
空を見上げると、満点の星空。
幸い新月が近かったのか、月も出てなかったしね。あんなに綺麗な星空を拝んだのは、人生初でした。
イーロン・マスクが火星移住計画を進めているけれど、うちらが生きている間に実現するのかな?って話をした。
旅に出ている人たちはみんな博識で、話題のニュースについてもスラスラと話が出てくる。
正直、旅中って宿探しや調べ物をしたり、写真整理をしたりとやることが多いから、ニュースをチェックすることまで手が回ってなかったのだけれど……
皆の会話についていくためにも、やっぱり世の中の動向はタイムリーに掴んで、日々勉強を怠らないようにしなければなと反省。
夕飯はみんなでタジン鍋をつついて食べて、その後はキャンプファイヤー?的なことをした。
火を囲みながら、ツアー参加者たちの話をたくさん聞いた。
イタリア人の男性はピザ職人で、小さな田舎町で日々ピザを作っているんだって。まだ自分の店を持ってないけれど、いつか独立したいって言ってた。
中国人の女性二人組はオランダに留学中で、物理や化学を勉強しているらしい。
本当、様々なバックグラウンドの人たちが集まっている。
正直、ここまでツアーを楽しむことができたのは、ツアー参加者たちに恵まれたからだと思う。
中には、ツアー客同士でケンカするグループもあるみたいだからね。まぁ、こればっかりは運だけど。
この日は、サハラ砂漠で忘れられない貴重な体験ができました。
明日は、メルズーガからフェズへ移動します。
※ 為替レートは、当時のもの。1円単位は丸めています。
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